3月1日
「猪肉ラーメン」
を食しに京都某所へ。
ついでに宇治の平等院鳳凰堂を見物。
梅の花と鶯の取り合せ。
仏教美術史的には、藤原時代の浄土式庭園の完成形よね。
ただ、思ったより池が小さい。
湖面の大きさだけでいうと、浄瑠璃寺や円城寺の方が大きいんじゃないか?
面白かったのは、本尊の阿弥陀如来の光背。
元々は岩船寺と同じく、シンプルな二重丸(瓢箪型?)のだったものに、後世の追加によって絢爛豪華に装飾されてる。
上が平等院、下が岩船寺の阿弥陀如来座像。
その岩船寺のご住職曰く
「戦乱や疫病で人々が救いを求める時代には、阿弥陀さまを大きく立派に作って、光背はシンプルな形です。世の中が落ち着いてきた時代には、阿弥陀さまは細く小さくなり、光背が派手になりますんや」
とのこと。
「死への恐怖」
という根源的な不安、その
「不安の強度」
が低下すると、 解釈が多様化して情報量が増えると。
インフォメーション(光背)が装飾的になるほど、インテリジェンス(阿弥陀)は痩せ細る。
「フォロワー数」とか「いいね!」とか「つながり」を光背としてるヒトビトは、どんどん阿弥陀(インテリジェンスの強度)からは縁なき者となっていくと。
浮かれ気分でコロナ騒動に興じているヒトビト。
ん〜
救い難いと思うけどなぁ
南無ぅ〜
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